言語編 (その一)
 
@ 観光

 レジャー・ブームとやらで、「観光旅行」が昨今は大流行である。この「観光」は、本来文字通り、他国の光景をよく見る、つまりその国の文物制度を十分視察するという意味から、他国の山水・風物を遊覧するという今日的な意味に転じたもの。

 『易経』に「国の光を観(観国之光)、用て王の賓となるに利し(利用賓于王)とあるのが出所であろう。
 
A 旅行

 もとの字は、「侶行」、すなわち、連れたっていくことであり、旅とは本拠を後にして他所へ赴くことをいう。とすれば、旅行は一人でするものではない。

 そういえば、旅とは、旗のもとに人が二人立っているさまを示した会意文字であり、転じて五百人の軍隊をいった。旅団がそれである。さらには、たくさんの人が集まるという意味も生まれたのだから、「○○観光団」の旗でもおし立てて、にぎにぎしく団体で繰り出す方が、旅行の本義にふさわしいということになる。


B 弁当

 旅の楽しみの一つに「弁当」がある。どこでも似たり寄ったりの「幕の内」よりも、それぞれの土地の名産、特産を食べさせてくれる特殊弁当の方が、よけい旅の心が湧く。

 ところで、この弁当は中国の「行厨」から考え出した国字で、「面桶」から転じたものだという。面桶とは、薄い木の板で作ったわげものなどに飯、茶を入れ、一人ひとりにあてがうものをさす。「和漢三才図会」には、「公害で饗応する際、人数に配当して、よくそのことを弁じるから弁当と名づけた」とある。

 いずれにせよ、一人ひとりに渡る携帯に便利な容器入りの食事が弁当である。
C 経済

 国を治め民を救う、或いは世を治め俗を救うという意味の経世済民という言葉は「抱朴子」にあり、それをつづめた経済という言葉は「文中子」に、「皆、経済の道あり」と載っているし、宋の王安石の伝論中にも「道徳経済を以て己の任となす」と見えている。

 だが、これをエコノミーの訳語としたのは、明治の日本で、この訳語もまた「小説」と同様、中国へ逆輸出され、中国でも使うようになった。

 ただ当初は、やはり経世済民の意味に使ったようで、清の末期(19世紀末)に経済特科といって、学識のある在野の有能な人材を登用した試験の名前に使っている。
 



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