娯楽編 (その一)
 
@ 花火

 花火は宋代に中国で発明された爆竹を改良したもので、日本には一七世紀初頭に中国から伝わりました。

 「徳川実記」慶長一八年(一六一三年)八月二日の条に「長崎より唐商等、駿府(静岡)に参着す。その中、煙火戯に妙を得たる者ありき」と見え、二代将軍秀忠に見せたのが、日本における花火の始まりであります。
 
A 獅子舞

 中国の漢代の壁画や石刻に「舞巨獣」というのがあり、これが中国の南北朝時代(日本では古墳時代)になると獅子舞として、百戯の一つとなり、唐代には「五方獅子舞」と称せられた。

 この唐の獅子舞が日本に伝わり、舞楽として演奏されているうちに、太神樂などで悪魔払いや豊作の祈祷として民間に定着したものである。

 中国近世の獅子舞には、南方と北方とで多少の差があるが、やはり慶事には各地で行われている。広東地方では正月に、日本と同様、芸人が民家を廻って、おめでたの意を表わす。

 もっとも、獅子舞(獅子はSerという古イラン語を漢字に音訳したもので、中国にはいなかった動物)はイラン原産で、シルクロードを経て中国へ入ってきたといわれている。なお、イランの国旗には獅子がシンボルマークとして付けられている。
 


B 麻雀

 その起源については諸説がある。清の光緒三年(1877年)頃、浙江省寧波の人が作ったという説、清朝のはじめに宮中で始まったとか、義和団の事件の難を避けて各自の故郷に帰った人がひろめ、全国的に大流行した説、清代の学者が考案したという説とさまざまだが、いずれにしても清代に起こったもので、たいして古いことではない。
 日本には日露戦争直後にもたらされ、大正にはいって流行しはじめたが、徳に第二次大戦後は「中国研究」とか称して、その流行ぶりはすさまじい。

C 連珠

 「格五」とも「五目ならべ」ともいう。中国では、伝説上の君主である堯や舜のころ、すでに生まれていたとか。

 伝説によると、応神天皇の即位のとき、太子の菟道雅郎子が来朝した漢人の阿知使主と大和軽島の豊明宮で、格五の技を競ったという。

 徳川中期には、民衆の間に広く普及したが、連珠と改称したのは、明治32年、名人とうたわれた黒岩涙香によってである。
 

HOME