飲食編 (その一)
 
@ 豆腐

 豆腐は中国の前漢時代の淮南王劉安の創製といわれる。

  鎌倉時代に、その製法を学んで帰ってきた禅僧が、禅寺でタンパク質の補給源として食べたのが、だんだん一般化したもので、室町末期には武士から町人、農民に至るまで盛んに食べるようになった。
A 砂糖

  砂糖の原料の砂糖きびの栽培と製糖法は十六世紀に、中国から奄美大島に伝わったが、本土に入ったのは享保年間。まだ贅沢品の砂糖は、薩摩藩では、他の国への密売者は死刑という厳しい罰則をつけて特産品として売りだしていたという。

  砂糖の日本到来は、奈良時代の天平勝宝五年、(七五三)に来日した鑑真和尚がもたらしたのが最初だと言われている。当時は貴族でさえ甘味料に、みつ、あめ、山野に生あまずらを使用しており、その時せんべい、餅菓子なども砂糖は使われていなかった。鎌倉時代には主として薬品として輸入され、一部は菓子の原料、調味料として上流階級に珍重され、室町時代に豊かな町民層にも使われるようになってきた。


B そうめん

 夏に日本人よく食べるのそうめんは、漢字では”索麺”または”素麺”と書く、奈良時代は索餅”(むぎなわ)と呼ばれ、中国から伝来した唐菓子の一種だった。

  鎌倉時代には、禅僧によって間食、副食とされたものだが、これを冷やして食べた事が、文安元年(1444)に出た「康富記」に記載されている。
C 磚茶(センチャ)

 磚(煉瓦)という字が示す通り、長さ30−45センチ、厚さ4センチほどの、葉を煉瓦状に固めたもので、チベット・モンゴル・シベリアで常用されています。

 明治に開国した日本は、明治8年多田元吉を清へやって磚茶の見本を持ち帰り、製造を開始したが失敗。翌11年多田を再び訪清させて福建省福州市で製造法を学ばせ、製造に成功したが、中国との輸出商戦に敗れて製造を中止した。
 

 
D みそ

 漢字では味噌と中国風だが、これはレッキとした日本産。鑑真和尚が日本に来てこれを食べ、あまりのうまさに「未曾有なり」と歓賞したため、この名が生まれたというが、これは少々話が出来すぎている。

 その起源は不明だが、みそ汁にし出したのは室町以後のこと。いわゆる経山寺から製法を学んだもので、経をキンと読むのは、看経と同じく中国語読みだからである。
 



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