中国社会は近年、急速な経済発展を遂げており、多くの中国人女性がビジネスの世界でも活躍するようになってきました。ところが、その一方で職場におけるセクシュアルハラスメント（セクハラ）が深刻な社会問題として浮き彫りになっています。特に女性ビジネスパーソンが増加する中、セクハラ被害の実態や背景、そしてその対策への関心は、これまで以上に高まっています。本記事では、中国のビジネスシーンにおける女性たちが直面する職場でのセクハラの現実、その心理や社会への影響、さらには現場や社会全体で有効な対策について、幅広く解説していきます。
セクハラに悩む女性たちの声がどうして表に出にくいのか、また中国社会の文化的・法的背景はどのようなものであるかなど、細かい視点から具体例を交えつつ掘り下げていきます。最後には、これからの時代に必要な意識変革や政策の在り方などについても綴り、中国の未来を担う女性たちがもっと安心して力を発揮できる社会について考えます。
1. セクハラの定義と種類
1.1 セクハラの法的定義
最初に「セクハラ」とはそもそも何なのか、その法的な定義について理解することが大切です。中国では、1992年に制定された「婦女権益保障法」、後に施行された「労働法」にも、職場でのセクシュアルハラスメントに関する規定が盛り込まれました。2022年には婦女権益保障法が改正され、セクハラの防止義務が企業に直接的かつ明確に課せられるようになりました。
中国法の中では、セクハラ（性騒擾）は、性的な言動によって他人の人格的尊厳を侵害し、不快感や恐怖感を与えること、と幅広く定義されています。具体的には、言葉によるもの、身体的な接触、または視線やジェスチャーなど、さまざまな形態が含まれます。
また、セクハラは単に「当事者同士の問題」とはみなされず、社会的・法的にきちんと対処すべき行為と理解されています。これにより、企業や組織にも対策の責任が生じていますが、現場ではまだ認識・施策が十分に行き渡っていないケースも多々見受けられます。
1.2 職場でのセクハラの具体例
職場でのセクハラには、非常に多様な具体的事例が存在します。たとえば、男性上司が女性部下に対して「もっとかわいくメイクした方がいい」など、見た目について執拗にコメントを繰り返すことが挙げられます。中国のあるIT企業で、女性社員がプロジェクトで成果を出した際、直属の上司から「青い服を着るともっと男受けが良くなるよ」と言われ、不快に思ったという事例も報告されています。
また身体的なセクハラも少なくありません。飲み会の席で身体に触れる、肩を組む、胸元や腰に手を回すなど、女性が拒否しても無理やり近づいてくるケースもあります。
それ以外にも、「仕事だから」と断れない雰囲気をつくり、私的に食事や飲酒への同伴を強要する、またLINEやWeChatなどのメッセージでしつこくプライベートな質問や不適切な写真を送る、といったデジタルセクハラも中国の都市部では増えてきています。
1.3 セクハラの心理的影響
セクハラは被害者の心理に甚大な影響を与えます。頻繁に職場でセクハラを受けている女性からは「最初はただ嫌なだけだったけれど、次第に出社そのものが怖くなった」「自分が悪いのではと考えるようになり、どんどん自信を失った」という声も多く聞かれます。
中国の調査によると、セクハラ被害にあった女性の中には強いストレスや不安、不眠症、場合によってはうつ状態やパニック障害を訴える人もいます。職場での「トラブルメーカー」扱いを恐れ、被害を黙って抱え込んでしまうことが、さらに精神的なダメージを深刻化させています。
また、セクハラが継続的に行われることで、被害者は「自分には価値がない」「どうせ報告しても無駄だ」といった悲観的な思考パターンに陥ることが多いです。これは被害者本人のみならず、周囲の女性や若い社員にもネガティブな影響を及ぼし、職場全体の雰囲気を悪化させる一因ともなります。
2. 中国の職場におけるセクハラの現状
2.1 セクハラの発生率と調査結果
中国の職場におけるセクハラの発生率は、公式にはなかなか明らかにされていませんが、近年相次ぐ調査によって現状が露わになってきました。2021年、中国女性連合会が実施した調査では、女性の約37%が仕事中に何らかのセクハラを受けた経験があると答えています。一方で、都市部と農村部での発生率や認知度にも大きな格差が見られるのが特徴です。
例えば上海や北京など大都市圏では、より多様な業種や外資系企業でセクハラが起こりやすい傾向にあります。一方、農村や地方都市では伝統的な価値観も根強く、セクハラが「問題」として認知されていないケースも。
実際にSNSやネット掲示板上にも、匿名で「職場で上司にしつこく食事やデートに誘われ断れず…」などの告白が多く投稿されています。被害を受けた女性が会社を辞めても、次の職場でまた同じような問題に直面することも少なくありません。
2.2 文化的背景とセクハラの受容
中国社会には、歴史的・文化的に「男性中心」の価値観が根強く残っています。伝統的な儒教的倫理観が、無意識のうちに女性を従属的な立場として見る土壌を育ててきた背景があります。また、上司や年長者への敬意を強調する文化も、セクハラが表に出にくい一因です。
「女性ならこういう扱いは当たり前」「昇進やプロジェクトのチャンスと引き換えに、少しくらい我慢すべき」という暗黙の空気も、多くの会社や組織で見受けられるのが現状です。これは都会だけでなく、地方や保守的な企業でも変わりません。
そのため、たとえ女性側が不快に思っても「これはセクハラか」と迷うことがあり、最終的には我慢してしまう人も多いのです。中国のSNSでは、有名人や芸能人による「#MeToo」運動が時々話題になりますが、一般の職場ではまだまだ声をあげるのが難しい現実があります。
2.3 女性の声が上がりにくい理由
セクハラの被害者がなかなか声を上げられない理由はいくつも挙げられます。第一に、会社が被害者ではなく、加害者や会社自体の名誉を守ろうとする傾向が強いため、被害申告がしにくいことです。
また、被害を訴えた場合「問題児」「面倒な女」とレッテルを貼られたり、昇進や評価に悪い影響が出るのではと懸念する女性も少なくありません。中国の就職市場では、いまだに「チームプレイヤーで従順な女性」が好まれる風潮があり、自己主張する女性が「トラブルメーカー」とみなされる傾向があります。
さらに、司法の場でのセクハラ立証が困難という問題も重なります。証拠が残りにくいこと、証人が協力をためらうこと、事件化されても処罰が軽いケースが目立つことが、被害者の沈黙を招いているのです。
3. セクハラによる影響
3.1 女性のキャリアへの影響
セクハラは女性のキャリア形成にも多大な悪影響を与えます。本人が「出世レース」から身を引くきっかけとなったり、重要なプロジェクトから外されたりすることが珍しくありません。例えば、ある通信会社では、有望な女性社員が上司から何度も不適切なアプローチを受け、相談した結果、その後大きな契約案件から本人だけ外されたケースが実際にありました。
被害によって転職や退職を余儀なくされ、その後のキャリアが中断される、といった話もよく耳にします。新しい職場へ行っても「また同じことが起きるのでは」と疑心暗鬼になり、本来の能力や意欲を発揮できないことも珍しくありません。
このような実態が続くことで、企業内部での女性登用やリーダー人材の育成が停滞し、結果的に「女性管理職が増えない」「女性リーダーのロールモデルが生まれにくい」といった問題にもつながっています。
3.2 メンタルヘルスへの影響
セクハラが女性の精神的健康に与えるダメージも深刻です。繰り返されるセクハラは、神経の過敏化、不眠、うつ症状、社会的不安などを引き起こします。中国の職場では、未だメンタルヘルスに関する相談文化が根付いていないため、心身の異変を周囲に打ち明けられず、ひとりで悩みを抱え込みがちです。
中には、「職場に行くのが怖い」と感じて出社拒否につながったり、日常生活にも支障をきたす場合もあります。周囲からのサポートが十分でない場合、最悪の場合は自己否定につながり、自己価値観の崩壊を招くことも。
こうした背景から、セクハラ対策のみならず、心のケアやカウンセリング体制の強化が中国のオフィスにも求められる時代となってきています。職場の安全と快適さは、心の健康の土台でもあるのです。
3.3 組織全体への影響
セクハラは個人だけでなく、組織全体にもさまざまな悪影響を与えます。まず、職場の雰囲気そのものが険悪になり、信頼関係が損なわれるという問題があります。複数の被害者が同じ職場にいる場合、「ここは働きづらい」というイメージが広がり、離職率が高まるのもよくある現象です。
また、SNSや口コミを通じて「この企業はセクハラ問題に甘い」と知られると、新卒や転職希望者から敬遠され、人材確保にも影響が及びます。ある大手企業は、匿名掲示板の投稿がきっかけで、企業イメージが一気に悪化し、採用エントリー数が半減したという事例も報告されています。
さらに、セクハラによる訴訟やトラブルが頻発すると、多額の法的コストや社会的損失にも直結します。これらは企業存続にも関わる重大なリスクであり、経営層による積極的な問題解決と、風通しの良い職場環境作りが不可欠なのです。
4. 職場でのセクハラ対策の重要性
4.1 法的対策
職場でのセクハラを根絶するためには、まず法的な枠組みの強化とその実効性が不可欠です。中国では、2022年の婦女権益保障法改正を受け、企業に「セクハラ防止義務」の徹底が求められるようになりました。この法律により、職場での予防措置や通報システムの設置が義務となっています。
しかし、法律はあっても実際には徹底されていない場合や、運用が形だけになっているケースもまだまだあります。一部の企業では、これまで加害者が社内での地位や人脈を背景に処分を免れてきた例も存在します。
そのため、被害者が安心して法的手段を講じられるよう、証拠保存の指導や無料法律相談の普及など、より実効的な法的サポート体制の拡充が今後の課題です。政府による監督・指導もより一層強化することが望まれます。
4.2 企業の責任と役割
法的対策と同時に重要なのが、企業や組織の自主的な取り組みです。セクハラ防止は単なる「義務」ではなく、企業文化の一部として根付かせる努力が求められます。たとえば、毎月の全社会議で「セクハラゼロ宣言」を継続的に発信している企業も増えつつあります。
具体的には、社内規則への明文化、被害申告の受付窓口の設置、第三者による中立の調査委員会の導入などが効果的です。ある外資系大手では、女性だけでなく男性も対象にしたアンケート調査やフィードバック会を実施し、社員全員が気軽に意見を述べられる環境作りを進めています。
また、経営層が率先してセクハラ対策に取り組む姿勢を見せることで、現場の従業員にも「声を上げやすい雰囲気」を広げていくことができます。リーダーの本気度が問われる時代です。
4.3 社内教育の必要性
職場全体でセクハラ根絶を目指すためには、社内での継続的な教育・研修が欠かせません。多くの人が「どこまでがセクハラなのか」を正確に理解できていないことも多いため、ラインを明確にし、知識を再確認する場を作ることが重要です。
ある中国系金融企業では、eラーニングを導入し、「よくあるケーススタディ」や「報告方法」について動画やロールプレイで学ぶ研修を年に複数回実施しています。また新入社員だけでなく、役員や管理職にも定期的な受講を義務付けています。
さらに、研修を一時的なものに終わらせず、日々の業務の中で実践できるようにサポートする体制が必要です。こうした教育を地道に積み重ねていくことで、職場全体の意識を根本から変えていくことができるでしょう。
5. 具体的な対策と支援方法
5.1 セクハラ防止のための研修
セクハラ防止において、最も現場で効果を発揮するのは、やはり徹底した社員研修です。単なる知識の伝達だけでなく、「自分ならどう受け取るか」「もし周囲で見かけたらどう対応するか」といった実践的な演習、グループディスカッションが有効です。
たとえば広州の飲食チェーンでは、全店舗に対して現場リーダー主導で定期的な研修を実施しています。セクハラ事例紹介だけでなく、加害意識の有無をテーマにしたワークショップや、被害者役・加害者役を体験するロールプレイも取り入れることで、どんな言動が相手を傷つけるのか具体的に理解させています。
研修で大切なのは、そのときだけ一時的に意識を高めるのではなく、普段の職場でも「これは言っても大丈夫かな？」と自制できる雰囲気を作ることです。一定期間ごとにアンケートや振り返りを行い、効果の測定や改善にも取り組んでいます。
5.2 報告システムの整備
セクハラ対策で最大の課題の一つが「報告しやすい環境」の構築です。多くの企業では、直属上司への報告が心理的ハードルとなり、実際の被害件数が表に出てこない現状があります。そこで、第三者窓口や匿名相談ラインの設置が進んでいます。
例えば北京のあるIT企業では、社外の弁護士や心理カウンセラーと連携したホットラインを設け、誰でも安心して相談できるほか、匿名で報告できるウェブフォームも導入しています。また、報告した後のプライバシー保護や報復防止に関する明確なルールが策定されている企業も増えています。
こうした仕組みがあることで、被害者は「守ってもらえる」という安心感を持って声をあげやすくなります。実際に、中国の先進的な企業では、報告案件の増加とともに現場改善策も多く提案されるようになり、職場環境が確実に前進しつつあります。
5.3 女性のサポートネットワークの構築
被害者が孤立しないためには、企業内外にサポートネットワークを築くことが不可欠です。中国各地では、女性起業家団体や働く女性向けのコミュニティが盛んに活動しており、オンライン・オフラインを問わず相談や情報交換ができる場が広がっています。
上海や深圳では「女性のキャリア支援サロン」や「女性の権利を守るNPO」などが定期的に勉強会を開催。職場の悩みを持ち寄り、弁護士や心理士が無料相談を行う取り組みもあります。
また、企業内で「女性リーダー会」などを設置し、先輩女性社員が相談役になったり、ロールモデルとなって悩みをシェアする事例も増加中です。こうしたネットワークが広がることで、「一人じゃない」と感じられ、被害に遭っても声をあげやすい雰囲気が社会全体に生まれてきています。
6. 未来への展望
6.1 女性のエンパワーメント
これからの中国社会において最も重要なのは、女性自身がエンパワーメント（自分の力で道を切りひらく力）を身につけることです。セクハラを許さない、受け入れない、正々堂々と声をあげられる女性が増えていくことで、社会の空気自体が変化していきます。
たとえば近年、SNSを通じてセクハラ体験をシェアし合い、サポートしあうムーブメントも盛んです。勇気をもって事実を公にする女性たちの存在が、同じ悩みを持つ人に大きな希望を与えています。
また、昇進や新規事業などにも自信を持って挑戦できる雰囲気が、社会全体に広がれば、女性がより自分らしく働ける時代が実現します。そのためにも、教育や家庭、企業の中で「女性の自己肯定感」を高める支援が必要です。
6.2 社会全体の意識改革
セクハラ問題の根本的な解決には、個人の努力だけでなく、社会全体の意識改革が欠かせません。「男性中心」や「目上優先」といった古い価値観から脱却し、ジェンダー平等を本気で目指す姿勢が求められます。
例えば全国的なメディアキャンペーンや有名人の発信、学校教育でのジェンダー教育の充実など、多方面からのアプローチが必要です。また、男性自身も「自分は関係ない」と考えず、一人ひとりが加害者・傍観者にならないための意識を持つことが大切です。
子どもの頃から「相手を尊重する」「違和感を感じたら声を上げる」ことを当たり前に教える社会にしていくことこそ、今後の中国が進むべき新しい道と言えるでしょう。
6.3 政府の役割と政策の必要性
最後に、中国政府の役割についても触れなければなりません。法律による規制・監督はもちろんですが、それだけではなく、具体的な予算措置や被害者支援のための制度設計が重要です。たとえば、被害相談窓口の拡大や法的保護の強化、裁判の迅速化などに国として積極的に取り組む必要があります。
また、地方政府や企業が協力して、職場や地域ごとの問題点を洗い出し、きめ細かい啓発活動や研修を進めることも大切です。賞罰制度をより明確にし、違反企業には厳しい処分を科す一方で、積極的な取り組みを評価・支援する政策も推進していく必要があります。
女性が「自分の権利を守れる社会」をつくるためには、個人・企業・政府が一体となって声をあげ、行動していく時代です。中国の未来を担う女性たち、そして全ての働く人が安心して力を発揮できる職場を実現するため、今こそ本気で変革に向けた第一歩を踏み出すべきでしょう。
終わりに
中国の職場で起きているセクハラ問題は、単に個人同士のトラブルにとどまらず、社会全体の価値観や制度、文化そのものが関わる大きな課題です。セクハラの根絶には、法律や企業の対策はもちろんですが、一人ひとりの「おかしい」と思う感受性と、声をあげ行動する勇気がとても大切です。
これからの時代、女性たちがもっと前向きにビジネスに挑戦できるよう、中国社会全体で「誰もが安心して働ける職場」をつくりあげていくことが求められます。小さな一歩でも多くの人が関わり合えば、必ず大きな変化につなげることができるはずです。
皆さん一人一人の意識と行動が、中国の未来の労働環境、そしてジェンダー平等実現への原動力になることを心から期待しています。
